人からもらった言葉に救われてきた。だから自分たちの歌もそうなってほしい

「理想像」以外の5曲からは、さっきおっしゃっていた不安になっていたとき、PONさんがどんなことを考えていたのかが窺えるのですが、今回、バンド仲間と語り合ったり、支え合ったりしたことが、PONさん含めラックライフの原動力、勇気、闘志になっているんだなと思いました。

PON:それは今年の3月、僕らが育った高槻RAPSBERRYってライブハウスが閉店したことが大きいんです。最後の営業日は、ゆかりのバンドが十数組、すべてシークレットで出演したんですけど、僕らはトリをやらせてもらって。(『Unbreakable』の)2曲目の「サーチライト」は、まさにその日のことを歌ったんです。今まで地元をすごく大切にしてきた自負もあるし、高槻RAPSBERRYは、僕にとって世界で一番好きな場所だし、高校生の時、歌うことやバンドがこんなにおもしろいものだと教えてもらったのも高槻RAPSBERRYやったし。6年ぐらい働かせてもらって、その時の経験があるからこそブレずにやってこられたし。ツアーに出た先で、「君はもっとちゃんと歌えばいいのに」とか、「熱さじゃなくて、音楽をちゃんと音符で伝えられる人になったほうがいいよ」とか、「関西弁でしょうもないことを言うMCもやめて、きれいなことを言ったら売れると思うよ」とか散々言われて、言われたら、やっぱりそうなのかなと思うじゃないですか。でも、ライブハウスで最初に受けたドキドキを捨てることはできないと思いながら、高槻RAPSBERRYに帰ってきて、地元の高校生のコピー・バンドのライブを見て、どれだけ励まされたか。だって、もう初期衝動の塊じゃないですか(笑)。「うわ、俺がドキドキしたのはまさにこれだ。みんなワクワクしながら、彼らなりに考えて、見に来た友達を楽しませうとしている!」。そういう姿勢に何回も勇気をもらって、救われて、だから今もその気持ちのままやって来られたんですけど、その場所がなくなったんですよ。なくなる前からすごく大事だと思ってましたけど、なくなってみたらやっぱすげえ寂しくて、きっつーって思って。でも、3月31日にライブをしながら、なくなることは悲しいし、つらいし、これからどうしたらいいか全然わからへんけど、すげえ幸せだと思ったんですよ。

幸せと言うのは?

PON:その日は、普段120人でいっぱいになるところにスタッフを含め、250人ぐらい詰め込んでたんですけど、その全員が知っている奴らだったんです。それってヤバくないですか? ここで、こんなにたくさんの奴らと出会ってきたんだと思ったら、こんなに幸せなことってあるだろうかってすごく感動して、大丈夫かもしれないと思えたんです。高槻RAPSBERRYって場所はなくなるけど、僕らが歌い続けていくことで繋がっていくことはすごくたくさんある。その日、出演した十数バンドが歌い続けて、それぞれが高槻RAPSBERRYみたいな場所になっていくんやなと思ったら、行ける気がするって、「サーチライト」はその気持ちを歌にしたくて、できた曲ですね。

4曲目の「朝が来る前に」もそうですか?

PON:それはまさにバンドをやるかやらんか悩んでいる時の歌なんですよ。

うん? バンドをやるかやらないかっていうのは。

PON:事務所を変わるのか変わらないのかって考えているとき、実は、もしかしたらバンドそのものをやめるタイミングなんじゃないかって考えも一瞬、頭を過ったんですよ。それで、夜な夜な、自分と話をしている時のことを曲にしたんです。

そういうことなんだ。

PON:「ほんまどうする? この先、ええ大人になって、事務所が変わって、ゼロからまたやっていく体力、おまえにあるのか? ほんまにやりたいんか、おまえは?」って自分と会話している中で、いや、マジでやりたいからってすげえ思った時に浮かんだのが高槻RAPSBERRY――と言うか、僕がライブを見て、音楽を聴いて、初めて涙したのが高槻RAPSBERRYだったんですけど、2個上のシンガー・ソングライターの人がすっかすかのフロアで歌っている歌を、初めて聴いたにもかかわらず、涙が出て。「これって何なんやろ?」と思ったんですけど、何を歌っているかじゃなくて、歌のパワーで涙が出たんです。それってすげえ現象だなと思って、僕はその人のことが大好きになって、それからすごく良くしてもらって、心の師匠だと思っているんですけど。僕が10代の頃、自分の歌って何なんだろうかってすごく迷っていたら、その師匠から「おまえは大丈夫だ」と言ってもらえたことを、なぜか思い出して。あの時の、あの言葉があるから、がんばれるなって。「PONはPONだから大丈夫や」って言ってもらえたとき、ぱーっと解き放たれた感じになったことを、「朝が来る前に」を書いている時に思い出して。俺もああいうふうに人を感動させられる歌を歌いたいし、あの人がそう言ってくれたんだから、もうちょっとやってみようかなって思いました。

<迷わないでいいよ><大丈夫お前ならできる>という歌詞の中の言葉は、師匠の言葉だったんですね。

PON:人からもらった言葉にすごく救われているんです。そういう言葉を散りばめながら書いたんです。僕、本名は真澄っていうんです。真っ直ぐ澄んだ人になるようにっていう名前なんですけど、女子みたいだから、昔はめちゃ嫌いだったんですよ。けど、バンドをやるようになってから、自分の武器ってそれやんって気づいたと言うか。嘘偽りないことを、真っ直ぐに歌うことが俺の歌で、自分で好きなところと思った時に、オカン、マジやるやんって自分の中でぐっと来てしまって(笑)。<ねぇねぇ耳を澄まして ねぇねぇ真っさらな心で>って歌詞は……。

ああ。

PON:オカンありがとうって(笑)。

そういう話はメンバーには?

PON:全然してないです。だから何のこっちゃわかってないかもしれないです(笑)。

そうなんだ。「朝が来る前に」は演奏も胸に迫るものがあって、そんなところにもバンドのスケールアップを感じたんですけど。

PON:僕にはそういう具体的な人がいるけど、それぞれの人生に、そういう場面ってたくさんあると思うんですよ。誰か大切な人に認められたりとか、褒められたりとか、がんばれって言われたりとかって、絶対、少なからずみんなあるやろうから、そこに重ねて、何かを燃やしてもたえたらいいですね。因みに6曲目の「Ravers」も高槻RAPSBERRYの歌です。

高槻RAPSBERRYがなくなってしまったことは悲しいことだし、決して良かったとは言えないですけど、たまたまバンドが転機を迎えるタイミングに重なったことは、ラックライフにとってある意味、良かったと言えるかもしれないですね。

PON:それはあるかもしれないですね。ほんま、「Ravers」も泣きながら書いたんですけど、これに関しては言うことは何もない。まんまだから(笑)。ほんまにどうしようかなって思ってたんですよ。僕、曲を作るのも高槻RAPSBERRYでやってたから、なくなったらどうしようと思ってたんですけど、さっきも言ったように大丈夫な気がする。ただの容れ物がなくなっただけで、そこに入ってたものがなくなるわけじゃない。大好きだった容れ物がなくなっただけで、また違う容れ物で集まれたらいいと思うし、その容れ物に自分たちのライブがなれるようなバンドになれたらいいと思うし。

そんなところも踏まえつつ、『Unbreakable』の全6曲をじっくり味わってもらいですね。

PON:そうですね。

(2/3)