うーじさん 新型コロナのステイホームの一環で、WOWOWで12時間、サザンや桑田さんのライブ映像が流されましたが、一発目がこのライブでした。いろんな事を思い出したので書きとめようと思います。 2007年は桑田さんのソロワークが充実し、若い方にも支持された「明日晴れるかな」という名曲が生まれました。年末の桑田佳祐SHOWがまたスゴいライブであり、ソロの可能性を広げたと思いました。 よって、2008年の周年には私は否定的に思っており、ソロワークでフェスを席巻し、またツアーもなんて考えてもいました。桑田さんも多分、周年祭りにはこの時期は否定的だったと思っています。今はサザンではない、と。でも、間違いなくソロワークよりサザンの周年の方がインパクトがあるわけで、そういう会社サイドの考えが、活動休止に繋がったような気がするのです。キラーストリートがある意味区切りで、DIRTY OLD MANのテレビ出演のは良かったのに、2006年の夢人島フェスのライブはあまり良くなかったんです。燃え尽きた感でしたよね。ソロワークを止めて周年というのは反対だったんじゃないですかね。ある程度自由に活動していきたいので、だから、サザンは区切りたい、と思ったと勝手に想像しています。 活動休止っていうのが、いかにも解散みたいな感じで捉えられていて、まぁ、その可能性もあったのかも知れませんが、世間が大変な事になってしまいましたよね。サザンが終わる、みたいな。私は、KAMAKURA後みんなのうたまでの約3年の部分と同じように考えていました。あの間の活動も素晴らしかったので、それはそれでと思ってました。 このライブは、区切りの部分が強かったため、懐かしメニューのオンパレードでした。アルバム発売の順番通り、女呼んでブギからロックンロール・スーパーマンまで、凄かったらですよね。どしゃ降りでしたし日産スタジアムで前から4番目でしたので間違いなくテンションは上がりました。 このライブの中核はエリー→真夏の果実→TSUNAMIの3連発からI AM YOUR SINGERのところ。この流れはこのライブのカラーがまさに区切りという部分がふさわしい流れだったと思いますね。 切なかったのはやはりI AM YOUR SINGERでした。これは切なかった。これと原坊の涙は、やはり区切り=解散みたいと捉えるには十分でした。桑田さんが私たちにサザンの屋号を預けたんですが、桑田さんは活動をやめないと思っていたので、ついていくだけですよね。サザンが復活したなら、それも嬉しいですが、とにかくついていきます、と強く認識したライブでした。 ちなみに、このライブが現在、TSUNAMIの演奏された最後のライブなんです。そう、想い出はいつの日も雨だったんです。次はいつなんだろうか?この曲の運命の皮肉さを憂いています。また、いつか・・・。 いいね! 8 コメント 3 2020/06/12 (金) 19:43