第61回
『TOMORROW』を歌わない岡本真夜?それはピアニスト“mayo”です!
2017/10/12
mayoは今、〈mayo Piano Concert Tour 2017〉と題するコンサート・ツアーを行なっている。10月7日の東京を皮切りに11月12日の仙台まで都合7本のツアーである。私はツアー初日、10月7日(土)、東京恵比寿アート・カフェ・フレンズでピアニスト“mayo”のライブを見ている。
その前に、岡本真夜がなぜピアニスト“mayo”になったのか?その辺の話をしておきたい。
「小さい頃はクラシックのピアニストになるのが夢でした!」
岡本真夜のデビューは衝撃的だった。1995年5月にリリースされた彼女のデビュー曲「TOMORROW」は、TBS系連続ドラマ「セカンド・チャンス」の主題歌として200万枚のビッグセールスを記録した。
リアリティーのある歌詞と耳なじみのいいメロディー、親しみやすいボーカルを持ち合わせた典型的な“応援ソング”といえる「TOMORROW」。この曲がヒットした要因を語る上で無視できない出来事があった。その年の1月に発生した阪神・淡路大震災と、3月に起きた地下鉄サリン事件が、全国に暗い影を落としていた。そんな中でリリースされた「TOMORROW」は、多くの人に元気と勇気を与えた。
「涙の数だけ強くなれるよ」というフレーズは、リアリティーを持って聴く人のハートに突き刺さり、瞬時にしてたくさんの人々の心をわしづかみにした。そして「明日は来るよ君のために」というフレーズに元気づけられて、立ち上がる勇気を得ることができたのである。その意味で“時代が必要としていた歌”だった。だからこそ、デビュー曲であるにもかかわらずミリオンセラーになったのだろう。
「TOMORROW」以降、彼女は「FOREVER」「Alone」「そのままの君でいて」などのオリジナル曲で連続ヒットを飛ばす一方で、作家としても岩崎宏美「手紙」、中森明菜「Rain」、中山美穂「未来へのプレゼント」、広末涼子「大スキ!」など、曲を提供し活躍の場を広げた。
“真夜ブーム”が落ち着いたデビュー4年目あたりからは、アーティストとして自分を見つめて活動する充実期を迎え、2000年には結婚をして出産。そして休養を経て活動を再開、現在に至る。
彼女に一貫しているのは、自らの意志を持って前向きに生きること。「TOMORROW」精神は生きているのだ。その証拠に、デビュー20周年を過ぎた2016年に“新人”になった。ピアニスト「mayo」として「always love you」でアルバム・デビューしたのだ。
「小さい頃はクラシックのピアニストになるのが夢でした。でも高校1年の時に歌の方が好きになり歌手になりたいと思ってしまったんです。でも、20年近く歌手をやってきた中で、ピアニストになりたいという思いが再燃してしまったんです」
彼女ほどの知名度があれば“昔の名前”で十分やっていける。リスクを背負ってまでピアニストにチャレンジすることはない。しかし、彼女の生き方は昔から、「自分の意志を持つ女性が最も美しい」を実践しているのだ。歌手とピアニストを立派にやりこなすに違いない。それが彼女の生き方なのだ。
「単なるピアニストではない。彼女は言わば“ソングライター・ピアニスト”です!」
とはいえ、「TOMORROW」で彼女を知ったリスナーは当然のことながら、シンガー・ソングライター・岡本真夜の世界に魅了されてファンになった人たちである。はたして、ピアニスト“mayo”は受け入れられるのだろうか?私も正直に言って、そんな不安を感じていた。
しかし、実際にライブを見ると、それは単なる杞憂でしかなかったということがよくわかった。それは彼女が“mayo”としての立ち位置をしっかりと把握していたからだ。
子供の頃、ピアノを習っていたとはいえ、彼女は高校1年の時、ピアニストから歌手へと転身してしまった。その時点で通常のピアニストとしての道は閉ざされてしまったと言っていい。音大に行き、卒業を機に留学してコンテストで受賞をしてピアニストになるというのがクラシック・ピアニストへの道だが、そのコースからははずれてしまったのだ。
では、ピアニストとしてどう一本立ちしていくのか?そこで彼女がめざしたのは、自分のオリジナル曲を自分でピアノで弾くということだ。これだったらクラシックのピアニストにはできない、自分だけの〈オンリーワンの世界〉を確立することができる。いいところに目をつけたと言える。
書道家の相田みつをさんが自分の言葉で自分だけの書道を確立したように、“mayo”は彼女にしかできないオリジナル曲を自分で弾く、という、言ってみれば〈ソングライター・ピアニスト〉という新しいタイプのアーティスト像を確立したのである。
ライブを聴きながら、私は彼女の歌がないぶん逆にメロディーから自由にイメージをふくらませている自分自身を発見してびっくりしたものだ。歌が入っていると確かにわかり易いが、逆に言葉に規制されて自由にイメージすることもできないことは事実だ。逆にインストゥルメンタルの場合は言葉がないだけに抽象的だが、だからこそ勝手にイメージをふくらますことができるというメリットもある。そんなことをふと考えさせられる彼女のピアノ・コンサートだった。
百聞は一見にしかず、ではないが、まずは見て、聴いて、自分で判断してもらいたい〈mayo Piano Concert〉である。
(文/富澤一誠)
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