第22回
島津亜矢の「帰らんちゃよか」、こんなにすごい歌、売れない方がおかしいよ!
2016/02/25
ここ半月ほどは引っ越しでてんてこ舞いだった。それだけにライブ、コンサートには残念ながら足を運べなかった。そこで今回は私が今、一押しの歌について述べてみたいと思う。
私が今、一番押している歌は演歌歌手・島津亜矢 が歌う「帰らんちゃよか」である。
去年の大晦日に<NHK紅白歌合戦>を何気なく見ていた。そうしたら島津亜矢が出てきたので、私は当然彼女は「独楽(こま)」という曲を歌うものだと思っていた。
なぜなら、この歌は彼女にとって2015年度の勝負曲であり、何よりも12月3日に行なわれた<第48回日本作詩大賞>(テレビ東京系)で“大賞”を獲っていたからだ。私もこのときは審査員として参加していたが、大賞受賞曲のアンコール再演のときは、ステージ上で間近に歌う島津の歌唱力に改めて「すごいな」と再認識させられていた。そんなこともあってか、彼女にとって2度目の出場となる<紅白>で歌う曲は、当然のこととして「独楽」だと信じ込んでいた。
しかし、彼女が歌い始めたのは「帰らんちゃよか」という曲だった。恥ずかしながら、それまでこの歌を私は知らなかった。何これ?と思わざるをえなかった。しかしながら、聴いているうちにこの歌の世界に思わず引きずり込まれていた。そして、「これはすごい歌だ」とすぐさま感じ取っていた。
「帰らんちゃよか」は熊本弁で「帰らなくてもいいよ」という意味。「帰らんちゃよか」は「生きたらよか」という曲をオリジナル曲としていて、もとはフォーク・シンガー・関島秀樹が自分の両親をモチーフにして、本当は帰ってきて欲しい想いを心に秘めて「帰らんちゃよか」と子供にエールを送る“親心”をテーマに同曲を作り上げたのが1995年のこと。翌96年に関島と同郷(熊本県)の先輩・ばってん荒川がこの曲を気に入って、自身の40周年記念ベスト・アルバム「生きたらよか」にカバー曲として収録した。このときに「帰らんちゃよか」とタイトルを変えた。そして2004年5月、今度は同郷の島津がカバーをしてシングル盤としてリリースした。
なぜ島津はこの曲を歌いたいと思ったのか?
「同じ熊本出身ですし、小さい頃から、ばってん荒川さんに可愛がっていただいてたんですね。それで番組に出させていただいたときに、歌っていらっしゃるのを聴いて、もう本当に涙が止まらなかったんです。私もまだその頃は東京に出てそんなに時は経っていなかったんですけれども、やっぱり祖父母や両親から受ける愛というものをひしひしと感じておりましたので、この歌がとっても心にズシンと響いたんですね。それで、ばってんさんに、『私にもぜひ歌わせてください』って言ったら、『本当は俺の大事な歌だけん、他の奴には歌わせたくない。でも、お前だけん、よかたい。とにかく大切に一生懸命歌えよ』っていうふうに言ってくださって、それで実現したことだったんです」
「帰らんちゃよか」が初めてシングル化された時(2004年5月)は、当初「娘に…」のカップリング(B面)だったが、評判がいいのですぐにメイン曲となった。それから11年という年月が経ち、<紅白>出場をきっかけにして再びリクエストが殺到して、1月20日に「帰らんちゃよか/感謝状」として再シングル化された。「コンサートで歌うと反響がすごい」と島津は言う。
「最初は熊本弁ですし、ところどころわからないところがあるんじゃないかって思っていたんですけれども、最初にステージで歌わせていただいた時からどの地区に行っても、お客様はじいっと聴いてくださって、泣いていらっしゃる方が多かったですね。だから、言葉ではなくて、親の想いっていうのはどこも同じで、どなたも同じだから、どなたにも『帰らんちゃよか』という言葉は伝わるんだな、歌はすごいなと思います」
島津亜矢が新しい命を吹き込んだ「帰らんちゃよか」、こんなにすごい歌、売れない方がおかしい、と私は思う。全国各地でコンサート、ライブを行なっている島津亜矢の生の歌をぜひ聴きたいものだ。
(文/富澤一誠)
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